世界を変えるU33

農業で世界を変える

MixiCheck

百年先も続く、農業を。

小野 邦彦(おの くにひこ)さん
株式会社坂ノ途中 代表取締役

小野 邦彦

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Interview Q1.どんな問題に取り組んでいますか?

「未来からの前借り、やめましょう。」

—小野さんが代表をつとめる株式会社坂ノ途中の取り組みを教えてください。

土づくりを大事にした環境負荷の小さい農業の普及に取り組んでいます。
農薬や化学肥料に依存すると、確かに「今」の収穫量は増えるし、コストは抑えることができるのですが、やはり土はやせ、水は汚れていきます。

それでは、将来、その土地での豊作はのぞめません。
「今」楽するために、コストを抑えるために、将来に負担を押し付けているだけなんですよね。
それを僕らは、「未来からの前借り」と呼んでいます。

「未来からの前借り」をやめるためには、農薬や化学肥料に依存せず、土づくりを主体とした農業ができる農家さんが増えることが必要です。

実は、農薬や化学肥料に頼らずに季節に合わせた農産物をつくっていきたいという思いのある人はたくさんいるんです。
ですが、その農産物の売り先を確保できないことが最大の問題でした。

農薬や化学肥料に頼らない農業は、手間も時間もかかります。
技術も必要ですし、安定的に大量生産とはいきません。

少量で生産も不安定では、買い取ってくれるお店や流通業者さんも少ないんですね。
でも、1軒1軒は少量で不安定でも、そういった農家さんをまとめて一緒に栽培の計画を立てれば、ある程度安定させることもできるし、量やバリエーションも確保できると考えました。

最初は、僕の地元(奈良県)の農家さんの野菜を大学生の頃にバイトしていた居酒屋さんに買ってもらいました。
1つ実績ができれば「飲食店さんに扱ってもらっています」と胸を張って営業できますから。

それから少しずつ買い取ってくれるお店を広げていきました。

いまでは50軒くらいの農家さんと提携していて、野菜の種類も年間300種類くらいに増えています。

農薬や化学肥料に頼らないでちゃんとつくった野菜って、味もおいしいし、日持ちもするし、皮も根っこも食べられるので、単価は多少高くっても、結局はお値打ちだと言ってくれる人も多いんですよ。

—環境負荷が小さいだけでなく、品質が高いからこそ広がっているのですね。

昨年には、買い取ってくれるお客さんの開拓に加えて、自社農場もスタートしました。
農業への興味や情熱がある人たちの育成にも取り組んでいます。
技術があれば、農薬や化学肥料に頼る必要はありませんから。
環境負荷の少ない農家を増やし、育て、支えて行くというサイクルをつくっていきたいと思っています。

また、東アフリカのウガンダでも、「未来からの前借り」をしない農業の普及を行っています。
世界中で気候変動が起きています。たとえば乾燥化が進む地域に乾燥に強い農産物を紹介して、収穫を迎えたものを買い取るといったことをしています。

今の世の中って、環境に限らず、エネルギーの問題とか、「未来からの前借り」がたくさんあると思うんです。

だから、「未来からの前借り」をしない今を目指したい。
将来と今の間に不公平のない世の中にたどり着きたいと思っています。
その方が、今を生きる僕らの気持ちも後ろめたくないし、楽ですよね。

東アフリカ・ウガンダでも乾燥に強いゴマの生産など、有機農業の普及活動を行っています。

Interview Q2.今の取り組みをやろうと思ったきっかけは?

「人は自然に合わせてしか、生きられない。」

—環境問題や農業に関心をもったきっかけを教えてください。

中学の時に父親が体を悪くしてから、家では家庭菜園でつくった野菜を食べるようになりました。
大学で京都に出てきて、スーパーの野菜をはじめて食べた時、驚いたんです。
同じような色や形なのに、こんなにも味が違うのかって。
農業って、おもしろいなぁて思いましたね。

大学3年生の終わりから1年間休学して、中国の上海からトルコのインスタンブールまで旅をしたんです。

チベットに2ヶ月ほどいて、標高4000mくらいにあるところをウロウロしていました。
そこでは植物も人々の暮らしも僕らの生活とはまったく違っていて、まるで別の星に来たような感覚なんです。

標高も高く、乾燥しているので、植生は決して豊かではない。
でも、その土地で、毛長牛が草を食み、糞をだして、その糞を人が燃料にする。
そして、燃料を燃やして出た灰を牧草地に帰すと、また草が生える。
その気になったら、いつまでも続けられる。
自然に合わせた生き方がとてもかっこよく思えました。

チベットからネパールへの道中、標高5250mの場所からはヒマラヤ山脈がよく見えました。
そこは風が強く、チベット仏教の祈りが込められた、ルンタと呼ばれるカラフルな旗がはためいていました。

その光景に僕はとても感動したのですが、一方で足下には、ペットボトルやビニール袋が散乱していました。
これは、観光客が増えてきたことによるものでしょう。

チベットの人たちのように、自然への畏敬の念があるライフスタイルを選ぶのか、この迫力ある自然に心震えることなく平気でごみを捨てられる価値観で生きるのか、決断を迫られているような気がしました。

僕はやはり、自然への尊敬を持って生きていきたいと思ったんですね。
これ以上、環境に負荷をかけない生き方をしよう。
そして、自然と共生する生き方を提案するようなビジネスをしたいと思ったんです。

どんなことができるだろうかと考えているうちに、人と自然との結び目は、農業なんだと思いいたりました。
農業がどれくらい持続可能かによって、人がどれくらいその土地で生きていけるかが決まる。
その結び目が、いまほころんできている。
それで、環境への負担の小さい農業を広げるような仕事を始めようと思いました。

長い旅の中でも、特に印象に残ったチベット。自然に寄り添う暮らしの大切さに気づかされました。

Interview Q3.どんな高校時代でしたか?

「大人がとことん嫌い。明るい未来なんて描けなかった。」

—高校時代は、どんな生徒でしたか?

奈良の片田舎で育ったのですが、正直、周りにはカッコいい大人はいませんでした。
兄や姉は高校卒業して、楽しくなさそうに働いていましたし明るい未来なんて描けなかった。

将来のことなんて考えずに、自分の時間を切り売りして、お小遣いを稼ぐことに一生懸命でした。
アルバイト先は、居酒屋と麺工場。
居酒屋では、加減がわからずにものすごい頑張っていて、これまでの人生で一番キツい仕事だったかったかもしれません。

あまりに頑張るので、いつの間にか僕が入っている日だけシフトが1人少ないんですよ。
大人たちにいいように利用されていましたね(笑)。

将来の仕事のイメージもまったくなくて、ネクタイを結んで組織の中に取り込まれるくらいなら死んでやるって思っていました(笑)。

—3年生になれば、進路選択が迫ってきます。

4人兄弟の末っ子なのですが、親も兄姉も大学に行ってないんですね。
だから、同級生たちは大学に行くのが当たり前って感覚だったんですが、僕はそれにもなじめず、卒業したら働くのかな、なんかそれヤダな、とぼんやり思っていて。

進路はどうしようかと悩んでいたところ、京都大学の総合人間科学部という学部の存在を知ったんです。
文系からも理系からも入れて、何をするかは入ってから決められるという。
得意科目は数学と理科なのに、好きな子が文系だったから文系を選んでしまった僕は、将来の決断を先送りにできるこの学部を目指そうと思いました。
自信があったわけではないですが、他の大学はまったく受けてないんです。
落ちたら旅に出よう、と思っていたくらいなので。

明るい未来を描けなかった高校時代ですが、今の会社には高校の同級生が2人も働いています。
その他にも同級生の父親が農家さんを紹介してくれたり。
結構、人のつながりって続いていくんですね。

大学時代には、友人が立ち上げた着物屋さんで働いていました。

Interview Q4.高校生のみんなにアドバイス!

「世の中、そこまで捨てたもんじゃないかも。」

—人生の先輩から高校生へメッセージをお願いします。

大学生の時、友人が立ち上げた着物屋さんで働いていたことがあります。
着物の伝統文化を廃らせないためにも、着物のよさを若い世代に伝えたいと頑張っていました。

それまではビジネスはお金をもうける拝金主義的なイヤなものだと思っていましたが、着物屋さんの運営にも関わるようになってはじめてビジネスは自分の伝えたいメッセージを発信するための有効な手段なんだって、気づいたんです。

それで、将来、自分のメッセージを伝えるビジネスをやろうと思いました。
二十歳を過ぎて、ようやく大人になる決意をしたんですね(笑)。
世の中、捨てたもんじゃないかもと思い始めた瞬間です。

僕の周りには憧れるような尊敬できる大人がいませんでした。
ステキな大人に囲まれて、明るい未来を描いている人もいると思いますが、僕のようにそうじゃない人には、どうか腐らずに、少しでもいいから動いてほしいと思います。

高校生の頃、原付で紀伊半島を旅したことがあります。
その時に出会った人との交流は楽しかったし、道中の美しい景色は今でも覚えています。
たまに学校をサボっていましたが、学校へ行くかわりに向かった図書館の本から希望をもらったり、美術館では今まで出会ったことのないようなダンディな大人がいたり。

世の中はダメそうだなと思いつつも、かすかな希望に出会えたから、なんとかここまで来れたのかなと思います。

腐りたくなっても、ちょっとでも動いたら、見える風景もちょっと変わるかもしれません。

学校がダメだと思ったら、見切りを付けて、僕みたいにさぼればいいと思いますよ。
どうするかを自分で決めればいいと思います。
いろんな大人が、あれをしろ、これはだめだ、とうっとうしいこと言ってくるだろうけれど(笑)。

何かを切り捨てることで、身軽になれることって、あると思うんですよね。

この町をでたら、この県を出たら、もう少しいいことがあるかもしれない。
周りの動きが正しいわけじゃない。
死んだ目になってふて腐れ続けるよりも、街へでたり、本を読んだりしてみましょう!

高校生の自分に出会えるとしたら、思っている程、世の中捨てたもんじゃないといいたいですね。


小野 邦彦(おの くにひこ)さん
株式会社坂ノ途中 代表取締役

・1983年奈良生まれ。30歳(2014年3月現在)。
・京都大学総合人間学部卒。フランス系金融機関を経て、2009年に株式会社坂ノ途中を設立。
・世界を旅して、自然との共生の大切さに気づき、環境負荷の小さな農業の普及を目指す。
・自社農場の運営や被災農家の関西への受け入れサポートなども行う。
・東アフリカ・ウガンダでも乾燥に強いゴマの生産など、有機農業の普及活動を行う。