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インテリアデザイナーの歴史を知ろう

インテリアデザイナーの歴史を知ろう

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日本ではインテリアデザイナーが認知されたのはいつぐらいからでしょうか。インテリアデザイナーが現在に至るまでどのような歴史をたどって来たかについて説明しましょう。また、DIYが人気を得ている今、プロとしてどうしていくべきかなどについても、あるインテリアデザイナーに聞いてみましょう。

JID設立からの主なインテリアデザイナー

1958年に剣持勇(けんもち いさむ)や渡辺力(わたなべ りき)が現JID(Japan Interior Architects/Designer’s Association:公益社団法人 日本インテリアデザイナー協会)を立ち上げます。日本のインテリアデザインにかかわる人々のための組織として啓蒙活動をおこない、社会的に認知されるのは1960年代後半ぐらいのことです。
剣持勇は世界を代表するインテリアデザイナーであり、積み重ねられるスタッキング・チェアは画期的なインダストリアルデザインとしてベストセラーとなりました。渡辺力も日本デザインの第一人者の一人であり、素朴でシンプルなひも椅子は大きな注目を集めました。
インテリアデザイナーとしていち早く名乗っていた倉俣史朗(くらまたしろう)は百貨店の内装部に所属していました。インテリアデザイナー第2世代と呼ばれ、独自の美意識とデザインで知られています。
1970年代に入り、内田繁(うちだしげる)や杉本貴志(すぎもとたかし)などの第三世代が広く知られるようになります。内田繁は数多くのホテルデザインを、杉本貴志は「無印良品」の店舗デザインを手がけたことで有名になり、インテリアデザイナーはカフェやレストランなどの商業建築から個人の住宅まで手がけるようになっていくのです。

これからどうなっていくか

DIY の流行にともなって個人のほうが使える道具や内装材などが販売され、さまざまな情報がWebで検索できることから、昔とは違って一般のお客さま自身で日曜大工を越えた工作ができるようになってきました。最近はプロ並みに仕上げる人も少なくありません。
あるインテリアデザイナーは、素人がプロレベルの作品を作ることができるのに驚くとともに、本当のデザイナーの価値は何だろうと考えるそうです。中途半端なデザインをしていては一般の人と何が違うかわからなくなってしまうので、プロとしてしっかりとしたデザインをしなければならないと話します。
また、今後はDIY をしたい人との協働、共創も出てくると思っているそうです。昔のように「お任せします」というパターンだけではなく、お客さまが「この壁を自分で塗ってみたい」と言う可能性もあるので、デザイナーの役割として柔軟に対応するスキルも必要だと言います。
これからは自分達でやりたいというDIYは多くなると考えられますが、どこまで素人ができるのかわからない人は多いようです。例えば電気工事など、電気の配線などは素人が勝手に工事をしてはいけないことですが、それを知らない人も多く、漏電や火事のもとにもなりかねません。インテリアデザイナーとしては、そういうことに対してコンサルティングするという業務が新たに出てくる可能性もあります。
仕事はいろいろな方面に広がっていくので「DIY コーディネーター」のようにさらに細分化していくこともあるでしょう。インテリアデザイナーとして、商業・住宅の両方を手がけている人、高額物件だけを扱う人、一つだけに特化している人がいれば、大規模な物件では照明デザイナーとインテリアデザイナーに分かれることもあります。何か、自分の得意なところにより注力していく姿勢が大切になってくるかもしれません。

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